すなめりくんの読書ブログ

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これまでの人生で読んで良かったと思う本を紹介していきたいと思います。

『謎の独立国家 ソマリランド』 が面白すぎてヤバい!(笑)

  海賊国家とリアル北斗の拳国家と国境を接していながら、道端の両替所でお店の人が寝ているほど治安が良い、自称国家「ソマリランド」を知っていますか?

 ほんの20年前まで無差別爆撃や氏族間の虐殺で大量の人が殺されていた場所が、今では外務副大臣が大統領の許可なしでオーストラリアの企業と勝手に署名したということで憲法違反ではないか、と野党が追及している平和な民主主義国家に変化したことを知っていますか?

 知れば知るほど謎が深まるソマリアを味わってみてください!

 

謎の独立国家ソマリランド

謎の独立国家ソマリランド

 

西欧民主主義、敗れたり!!

終わりなき内戦が続き、無数の武装勢力や海賊が跋扈する「崩壊国家」ソマリアその中に、独自に武装解除し、数十年も平和に暮らしている独立国があるという。

果たしてそんな国は本当に存在しえるのか?事実を確かめるため、著者は誰も試みたことのない方法で世界一危険なエリアに飛び込んだ――。

世界をゆるがす衝撃のルポタージュ、ここに登場!

BOOK OF THE YEAR 2013 今年最高の本 第1位

(本書の帯より引用)

 

 

 みなさんはソマリアという 国にどんなイメージを持っていますか?僕は海上自衛隊が派遣される場所で、海賊が暴れているイメージがありました(笑)。

 それは完全に間違いではないですが、ソマリアは、以下の写真の通り、3つに分かれているそうです。

 

赤線より南が有力氏族、政府、反政府、イスラム過激主義などが覇権を争い日々戦闘が行われている「リアル北斗の拳」。赤線の北側が海賊国家「プントランド」。そして、緑線の左側が過去には大量の虐殺事件などが何度も起こったにも関わらず、この20年近くはかなり平和で、極めて民主主義が機能している奇跡の国「ソマリランド」。

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  ソマリランド国連未承認の「自称国家」ですが、かなり平和で、民主主義が正常に機能しているという噂を著者の高野さんは聞いたそうです。しかし、日本にはソマリランドに関する研究がほぼない状態。そこで、本当なのか、実際に行ってみたというルポです。

結果どんな感じだったのか?

 

・住民のソマリ人は傲慢で、いい加減で、約束を守らず、荒っぽい!(笑)

・夜8時過ぎでも外国人が1人で歩くことができる!(奇跡)

・街中に銃を持った民兵がほぼいない!(奇跡)

・街中の市場にある両替所(札束が大量に積み上げられている)の店員が寝転んでいる(奇跡すぎ!!。日本なんか銀行がどれだけ厳重に警備されているか考えたら、日本より遥かに治安が良いともいえる)

・カート(合法ドラッグ)をみんなやりまくる!(笑)

・日本より二院制が遥かに機能している!(奇跡すぎ)

・自称国家なのに自国の通貨がある!(奇跡すぎるらしい!)

 ・二十数年前、大量に虐殺が起こっていた時代、長老たちの話し合いで、みんなが武器を放棄して(長老たちが回収して)平和になった!(奇跡)

 

 

 日本にいる僕らからすると、この凄さがピンとこないけれど、上記したことを外国・国連の力を一切借りず(本書を読めばわかるけれど、外国が余計なことをしなかったからこそ出来た)これらを実現してしまった!!

 もう一度確認すると、氏族間で大量に殺し合いをしていた状態から、アフリカ最高レベル(というか読めばわかるけれど、日本よりずっと政治が機能している)になった!しかもすぐ近くには「リアル北斗の拳」国家が暴れているにも関わらず!!

 

 

 僕は、憲法学者の木村草太さんがすすめる人生最高の10冊でこの本が紹介されていて興味を持ちました。僕のブログでは今回はあまり触れませんが、民主主義、政治、中東の政治問題に外国がどのようにコミットするべきか、など政治を考える上でも大変興味深い本になっています!

 最後に、いかに自称国家ソマリランドの政治が成熟しているか、エピソードを1つ紹介してこの記事を終わりたいと思います。

 

 

ソマリランドの議会とグルティ(長老たち)は、パッと見は日本の衆議院参議院のような関係にある。新しい法案を作るとき、まず議会で討議して可決されるとグルティに送られる。グルティでも可決されれば法案は成立するが、グルティで否決されると議会に差し戻される。(略)

 ソマリランドではグルティの賛意を得られなければ法案は絶対に成立しない。そこで法案は議会に差し戻され、修正を加えられてから、あらためてグルティに送られる。そこで可決すれば成立し、否決すれば再度議会に戻されるか廃案となる。(略)

 議会が可決した法案をグルティが否決するというのはどういう場合なのかとアブドゥラヒ先生に訊くと、こんな例を教えてくれた。

 この年(2011年)、与党が「女性の政治進出を促すため、議席のうち30を女性に割り当てる」という法案を提出し、議会で可決されたが、グルティでは否決、結局廃案となった。

 「それは保守的すぎるんじゃないですか?」私が眉をひそめると先生は首を振った。

 「特定のグループに議席の割り当てを行ってよいとは憲法のどこにも書いていない」

 先生が言うには「われわれも女性には政治に参加してほしい。でも議席の割り当ては憲法違反だ。与党はそういったことを深く考えず、次の選挙のために人気取りをやっただけだ。もしこの法案が通れば女性の票がたくさんとれるからな。でも、もし本気で女性の議席割り当てをやりたいなら、まず憲法を変えなければいけない」

 長老たち半端なく凄いですよね!(笑) アフリカにしては民主主義が機能しすぎているってレベルじゃなくて、もはや羨ましいってレベルです…。 

  とにかく全てにおいて衝撃を受けますが、民主主義というものも僕たちは日本的(西欧的)なものが常識として認識していますが、それがひっくり返されます!

 

 

このクソ面白い本を是非1人でも多くの方に読んでもらえればと思います。

 読むと、未開の地を旅したような気分になれます!

 

気持ちを伝える能力が奪われた日常を考える『自閉症の僕が飛びはねる理由』

友達と話せない、お腹がすいた、痛い、助けて、などと相手に感情を伝える能力が奪われた日常をあなたは想像できますか?

まさにそのような状況で生きている東田直樹さんの思いが書かれた1冊です。

自閉症の僕が跳びはねる理由 (角川文庫)

自閉症の僕が跳びはねる理由 (角川文庫)

 

 

僕が跳びはねている時、気持ちは空に向かっています。空に吸い込まれてしまいたい思いが、僕の心を揺さぶるのですーー。人との会話が困難で、気持ちを伝えることができない自閉症者の心の声を、著者が13歳の時に記した本書。障害を個性に変えて生きる純粋でひたむきな言葉は、当事者や家族だけでなく、海をも越えて人々に希望と感動をもたらした。世界的ベストセラーとなった話題作、待望の文庫化!

(裏表紙より引用)

 

 僕はこの本を読むまで恥ずかしながら自閉症についてほとんど知りませんでした。この本を読んで自閉症とは(症状の程度はあるけれど)

・自分の感情をうまく表現できない

・自分の身体を思い通りに制御することが難しい

この2点を感じました。

 1点目は、例えば「はい」と言いたくても「いいえ」と言ってしまうなど、思いを表現することの難しさを東田さんに教えてもらえました。大切なことは、自閉症の人々は、言語表現が苦手ではあるけれど、僕たちと同じように、うれしい、悲しい、辛いといった感情を持っているということです。しかし、それを表現することが難しい。

  2点目は、僕たちは普通に右手でペンを取りたいとき、思い通りに動かせます。しかし、東田さんはそうではないそうです。身体は自分のものではない別物のようなもので、思い通りに動かすことが大変難しいそうです。

 

 自閉症を漢字そのままで理解すると、自ら閉じこもっている人、という意味になります。人との付き合いが嫌いで、人との関りを拒否している、そういう印象を与えますよね…。

 しかし、東田さんの本を読めばそうではないことが、すごくわかりました。想いは沢山ある、しかしそれを言葉にして伝えることが困難なだけだと。だからこそ、自閉症の人と共に過ごす際に、どれだけ周囲が理解しているか、がすごく大切だとわかりました。すべての人が生きやすい社会を、自分らしく認められる社会を、そんな社会の実現に微力ながら貢献したいと思い、ブログで本書を紹介させて頂きました。

 

 

 最後に、作家で、また自閉症の息子を持つ親でもあるデイヴィッド・ミッチェルさんの言葉を紹介して終わりたいと思います。

 

デイヴィッド・ミッチェルさんは、自分の息子が、

なぜうちの3歳児は床に頭をがんがん打ちつけるのだろう?自分の目の前ではげしく指を振るのか?皮膚が敏感すぎて、すわることも横になることもできないのはなぜか?『ピングー』のDVDが傷だらけになって再生できなくなったとき45分間も悲嘆の吠え声をあげつづけるのはどうしてか?

 このような行動をとることについて、これまで読んだ自閉症に関する育児書、専門書などを読んでも、 息子を理解できなかったそうです。しかし、本書を読んで、

この本を読んだとき、直樹の言葉をつうじて、まるでうちの息子が自分の頭の中で起きていることについて、初めて私たちに語ってくれたかのように感じられた

 と。そして何よりの希望は、

この本は、ただ情報を提供するよりも、はるかに遠くまで届く。見たところどうにも寄る辺ない自閉症児の体の中に、あなたの、私の、みんなの体とおなじ、好奇心にみちた繊細で複雑な心が閉じこめられている

 ことを教えてくれたと言っています。

 30ヵ国語以上の言語で翻訳され、自閉症の人と関わる世界中の人の希望になったこの素晴らしい本を1人でも多くの人に手に取って頂けたら幸いです。

【炎上を考える】なぜネット上で他者を過剰なまでに攻撃するのか?

  大津のいじめ自殺事件でいじめに加担した少年やその家族の個人情報をネット上に拡散し、ついには、滋賀県の教育長が襲撃されて殺されかけた。

 いじめを抵抗できない弱者を多数で一方的に攻撃することであるならば、いじめを批判するネット上でのこれらの行為こそ、いじめではないだろうか?なぜ、そこまでして個人情報を晒しあげ、集団でボコボコにするのか?

 群衆の心理に注目し、クラウドのように増殖する悪意が社会に蔓延している問題について、森さんと一緒に考えてみませんか?

 

 

クラウド 増殖する悪意

クラウド 増殖する悪意

 

 

善良な市民が正義を振りかざし、厳罰化を求める。大勢が寄って集って一人を叩きのめす。メディアは抗うことをやめ、萎縮し、何事もなかったかのようにふるまう。

これが日本なのか、日本人なのか?

 

 

・なぜ高校球児は未だに丸刈りなのか?

・なぜ日本は同調圧力がこれほど強いのか?

・なぜネットで寄って集って大勢で一人を叩きのめすのか?

・なぜ無罪の可能性がかなり疑われた死刑囚の再調査が行われることなく、そのまま死刑が執行されたのか?そしてそのことがなぜ日本人に無視されているのか?

 

こういった問題に対して、森達也さんが主に群集心理に注目して鋭く分析をした1冊です。

 

 本書は、雑誌などに掲載された短編を集めて作ったものです。従って、1つの話題に対しては十ページ以内で書かれています。そのため、全体では約250ページと短くはないですが、短い空き時間などにサッと読むのにも適しています。また、「悪意」と題にはあるのですが、森さんは淡々と冷静に書かれているので読んでいても全然しんどくはなりません。

 自分自身と社会との関わり(ネット利用、メディアなど)に対する問題提起の1冊として最高だと思います。

 

 

最後に僕が面白いと思った箇所を紹介したいと思います。

 

 

危うい「自由意志」

1961年、アメリカのイェール大学で行われたミルグラム実験は、一般市民から参加者を選ぶことから始まった。記憶と学習に関する実験だと説明された参加者たちは、別室に拘束されていた40代の男性に設問を与え、間違った答えの場合にはその都度、男性に取り付けられた電極を通して電気ショックを与えることを命じられた。電極につながるレバーを押す参加者の部屋にはスピーカーが設置されていて、男性の苦痛を訴える声が聞こえるようになっていた。

 ただし実際に電気は流れていない。男性の苦痛は演技なのだ。つまり、社会学的なドッキリ実験だ。

 実験前の研究者たちは、大半の参加者は途中で実験を放棄するだろうと予想していた。ところが結果は、誰も予想しないものとなった。男性の「死んでしまう」とか「やめてください」などの悲鳴や絶叫を聞きながら、横に座る教授という「権威」に促されるままに、参加者40人中25人が、最大の電圧である450ボルト(心臓が停止する可能性がある数値で、そのことは事前に説明されていた)まで、電圧を上げ続けたのだ。(略)

 それから10年後の1971年、アメリカのスタンフォード大学心理学部の地下実験室を改造した模擬刑務所で、看守役と受刑者役に分けられた10人ずつの大学生が、どのようにその役割を演じるかの実験が行われた。ドッキリ的な要素はない。大学生たちはみな、ロールプレイだということは知っている。実験の期間は2週間と設定されていた。

 でも結果として、実験は6日で中止された。看守役の大学生による受刑者役の大学生への暴行が激しくなり、相当に危険な状態になったからだ。中止後に受刑者役の大学生の何人かは、本気で命の危険があったと証言した。(略)

  さらに2009年、フランスの公共放送局が、解答者が質問に答えられなかったら身体に電流を流すという新しいクイズ番組のテスト収録を実施した。参加者は公募で集められた80人の市民たちだ。ただしこれも実験だった。解答者に選ばれた男はテレビ局が用意した俳優で、苦しむ演技をすることになっていた。(略)

 このときも市民の多くは司会者という権威に従属し、観客という場の圧力に押され、結果としてはミルグラムの実験を上回る81%の人たちが、最高値の460ボルトまでレバーを押し続けた。この顛末はドキュメンタリーとして放送され、フランスでは大きな社会問題になっている。

 人の自由意志はこれほどに危うい。簡単に操作される。そして操作さrていることに気づかない。(略)

 これらの心理実験は、ごく普通の人が閉鎖された特殊な環境に置かれたとき、明らかに人を死に追いやる可能性があると推定される指示にさえ、簡単に従ってしまう傾向があることを示している。その際のキーワードは、決して洗脳やマインドコントロールなど仰々しい語彙ではなく、権威からの指示と、集団における同調圧力だ。

 

もう1つ、次は森さんが作成したドキュメンタリー映画『311』をタイの映画祭で上映した際に森さんが喋った内容の要約です。ここでも、群集心理の問題に加え、「不謹慎」について述べられています。

 

 

震災後に多くの日本人は、強い後ろめたさに襲われた。被災地の人たちは家や家族を失って泣き崩れているのに、自分は震災前と何ひとつ変わらない日常を送っている。その理由がふとわからなくなる。運だけでは納得しきれない。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。何かをしなければという気分になる。これを欧米では「サバイバーズ・ギルト」と呼ぶ。訳せば「生き残ったがゆえの罪悪感」だ。でもこの気分を抱え続けることはつらい。こうして多くの人やメディアは、罪責感や後ろめたさから目を逸らすために「絆」や「日本はひとつ」などのフレーズにすがり始める。

 この現象は今回に限らない。大きな災害や事故が起きたとき、人々は結束しようとする。だって、一人は心細い。連帯して危機を乗り越えようとする。つまり、集団化だ。群れることを選択した人類の本能であり、その意味では摂理でもある。でもその弊害は大きい。群れは時として暴走する。抑制がきかなくなる。

 集団化は惨事を引き起こす。だからこそ後ろめたさから目を逸らしてはならない。直視しなくてはならない。撮影現場で自分たちが感じた「撮ることの加害性」と「後ろめたさ」は、震災後に日本中が陥った「サバイバーズ・ギルト」と重複する。ならば僕たちが撮るべきは、瓦礫や被災者ばかりではない。その前でカメラを構える自分たちを撮るべきだ。それが醜悪で狡猾で卑劣であればあるほど、被写体としての意味を強固に持つはずだと考えた。

 同時にまたこの映画は、(メインテーマではないけれど)遺体を撮影するかどうかの煩悶を描くことで、震災後に日本中を覆った「不謹慎」なる感覚についても違和感を表明している。

 たとえば震災直後に石原慎太郎東京都知事は「花見は不謹慎だから自粛するように」的な発言をた。(略)

 遺族や被害者の立場に立って考えることは大切だ。それは当たり前のこと。ところが最近の日本は、この傾向が暴走する場合があまりに多い。つまり被害者や遺族の存在が聖域になりかけている。その帰結として自由にものが言えなくなるのなら、一応は表現に携わるものとして、抵抗はしておきたい。

 と述べ、さらにこの「不謹慎」の本質は同調圧力であると言います。

 結局のところ「不謹慎」は「場の空気を乱す」と訳せばいちばん近い。具体的な被害は及ぼさない。具体的な基準もない。場によって違う。空気によっても変わる。要するに「みんなが右に向かって歩いているのに、どうしてあなたは左に行こうとするのだ」が、不謹慎の本質だ。つまり同調圧力。全体で動くことを強要される。ことを求めてしまう。その帰結として「花見の自粛を要請」みたいな論理矛盾の状況が現出する。要請されたならそれは自粛ではない。主体と客体が交雑しながら融合している。きわめて日本的な概念だ。ただし日本的ではあるけれど、日本に特有な現象ではない。

 エーリッヒ・フロムが「自由からの逃走」で看破したように、人類全般にこの傾向はある。自由を無自覚に忌避してしまうのだ。だからこそ第一次世界大戦後のドイツは、とても民主的な選挙を積み重ねながら、最後には全体主義を選択した。

 人類全般の傾向ではあるけれど、特に日本人はこの感覚が強い。個が弱く、集団と相性がいいからだ。その帰結として多くの弊害が起きている。

 

 

 本当にたくさんのことを考える読書体験ができました。実は僕が一番興味深いと感じた話は紹介できませんでした。それは、なぜノルウェーは77人を殺害した犯人を許せたのかという話でした。

ノルウェーは最高刑が懲役21年の国です。その犯人はもちろん懲役21年になったのですが、国民も、遺族からも、さらなる厳罰化を求める声はあがらななかったそうです。そればかりか、惨劇があった島にいながら殺戮を免れた10代少女は、「一人の男がこれほどの憎しみを見せたのなら、私たちはどれほどに人を愛せるかを示しましょう」というメッセージを放ったそうです。)

 紹介したもの以外にもたくさんの面白い話があったので、良かったら一度ご覧になってみてください。