すなめりくんの読書ブログ

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これまでの人生で読んで良かったと思う本を紹介していきたいと思います。

【差別は人を殺す】ヘイトスピーチを知る 【読書感想文におすすめの1冊(対象:中学生~)】

中学生、高校生にオススメの1冊

 ヘイトデモをとめた街 -川崎・桜本の人々- 著者 神奈川新聞「時代の正体」取材班

ヘイトデモをとめた街

ヘイトデモをとめた街

 

 

街を歩いていて、突然誰かに死ねと言われた経験のある人はいますか?

もちろん僕はありません。

それがこの国の圧倒的マジョリティ(多数派)。

 

しかし、この平和な日本で、

「半島に帰れ」

「ゴキブリ朝鮮人は死ね」

「敵をぶち殺せ」

と言われる人が、この平和な日本にもいます。

 

  川崎市桜本は朝鮮にルーツを持つ人や、フィリピン、ブラジル、タイなど様々な国をルーツに持つ人が沢山暮らしている街。また、川崎の臨海部は、「流れ者の地」であるように、地方から沢山の人が職を求めて住み着いた、非常に「多様性のある街」。

様々な人が協力し、助け合いながら生活をする、そんな様子が本書の至る所で感じることができます。

 そのような多様な生活の場である桜本でヘイトスピーチが行われ、桜本で暮らしている人がどのように感じているのか。

 また、難民問題、イスラム教、ユダヤ教などの宗教対立問題、アメリカなどで起こっている黒人差別問題、そして日本で起こっている部落差別問題など、これからの社会を自分とは異なる境遇の人と共に生きていく術を知るヒントが得られるオススメの1冊です。

  「人権」、「差別」がテーマですので、読んで感じたことをありのままに書けば良いので、読書感想文が書きやすい本だと思います。長さも約200ページ、そして文章もスッと読めるので大変おすすめです。

 

 

以下、僕の感想です。

 本書は、前述した通り、「多様性のある街」である桜本に乗り込みヘイトスピーチを繰り返す差別主義団体と向き合う地域住民の苦悩を、神奈川新聞の取材班が文章にしたものです。

 まず、この本を読んで唖然としたのが、警察の「中立」という言葉の欺瞞です。

 ヘイトスピーチをする団体のデモ行進に抗議する「カウンター」と呼ばれる抗議者がいるそうです。彼らは、デモ参加者の数倍の人数で、デモの周りを取り囲み大声を上げるなど、各自講義を繰り返しています。コリアンタウンの桜本に差別主義団体が侵入しようとする際には、「シットイン」と呼ばれる、道路に寝そべり、「奴らを通さない」という抗議を行うこともあるようです。

 両者の間で暴力的な事件にならないよう、そして、差別主義団体の表現の自由を守るためという名目で警察は警備にあたっています。しかし、「中立の立場」といいつつ、差別主義団体に寄り添った警察の酷い実態が克明に記されています。

 ヘイトスピーチをしている暴力団組員の人間が、抗議者を殴る蹴るの暴行を加える場面を見て見ぬふりをしたこと、警察が抗議者が路上に入るのを防ぐために抗議者の首を絞めつけたこと、警察が抗議者が邪魔だからと突き飛ばして怪我をさせたこと。例を挙げればきりがありません。

 「騒動になるのは、一々騒ぐ抗議者がいるからだ。抗議者が災いの元だ」という警察の思いが「中立」という言葉で覆いつくしていたのだろう。

道路に寝そべる奴は、道路交通法だから、排除するのは当然。

抗議者が災いの元。

 

 本当にそうだろうか?

シット・インの起源は1960年代、黒人差別撤廃を果たす米国の公民権運動にある。始まりはレストランの白人専用カウンターに黒人が座り、注文に応じない店側に対し、注文が出てくるまで居座り続けるというものだった。

 路上へ踏み出す一歩のその先に――。

「法をちょっとだけ守らず、道路に寝そべる。そうすることで世界が変わっていくということがある。いつの時代のどんな世界だって、そうして変わってきた。」

 問題は、このような差別主義者が桜本という街の尊厳を踏みにじる行為に対して、行政が、法が、国が、何一つ桜本を守るという姿勢がないからじゃないのか。だから、守られない彼は、彼らなりの表現方法で守ろうとしているのではないか。

 自分たちの大切な生活の場を土足で踏みにじられ、しかも行政、国には無視される。そんな人々が互いに協力し合い、この問題に向き合っている姿をぜひ知って欲しいと思います。そしてこの日本には、自分とは全く異なる境遇の人々がいることを知って欲しいと思います。

 

 

 最後になりますが、僕は罰則規定を設けた法規制には反対です。現在のヘイトスピーチ規制法は罰則規定のない理念法ですが、それで良いと思います。

 よく「ヘイトスピーチ表現の自由ではない、言葉の暴力だ」という言説が聞こえますが、そういった主張こそ、言葉の暴力的要素をはらんでいると思います。

 

 仮にヘイトスピーチをすることを禁止したらどうなるか?

差別主義団体は、これまで自分たちの主張をデモという手段を通して広く伝えることができた。しかし、それすら禁止されてしまったら?想像したくないけれど、より暴力的な手段-テロや殺人-といった表現方法に変えてしまうかもしれない。

こういう危険性の議論が規制強化派からは見えてこない。

川崎市桜本や、大阪市鶴橋などで行うヘイトスピーチヘイトスピーチ規制法によって禁止すべきだと僕も思う。しかし、他の場所で、彼らの表現-それが例え言葉の暴力であったとしても-する権利を奪ってはならないと思う。

 

しかし、安全なパソコンの前で偉そうに言っている人間にだけはなりたくない。

だから、もしヘイトデモを見かけたら抗議の意思を自分なりの方法で表現したいと思う。

 

 

なぜ表現の自由を規制することに、僕が、多くの憲法学者が、批判的なのか。

疑問に感じた方は、ぜひ憲法について学んでいただければと思います。

以下、お勧めの書籍、インターネットサイトです。

 

法学館憲法研究所ー中高生のための憲法教室ー

 

未完の憲法

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