すなめりくんの読書ブログ

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高校の教員です。読んで良かったと思う本を紹介していきたいと思います。

【ホセ・ムヒカの言葉】 貧乏な人とは、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人だ 【生き方を考えてみる】

 ムヒカ大統領の言葉がなぜ、多くの日本人に受け入れられているのか?それは、ムヒカ大統領の生き方に「慎ましさ、質素さ」を大切にする古き良き日本人の伝統的な部分に近いものがあるからではないでしょうか?

世界でもっとも貧しい大統領 ホセ・ムヒカの言葉

世界でもっとも貧しい大統領 ホセ・ムヒカの言葉

 

 

 僕は、ムヒカ大統領の人生観が好きです。

人生の幸せとはなんでしょう?

人はなぜ働くのでしょうか?

ムヒカ大統領と一緒に生きる意味を考えてみませんか?

 

 

以下に、ブラジルのリオで開かれた国連の「持続可能な開発会議」での、ムヒカ大統領のスピーチ全文を紹介したいと思います。

会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。ここにご招待いただいたブラジル国、そしてディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前にここに立って演説した、心予良きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要とする国同士の決議を議決しなければならない。その素直な志をここで表現しているのだと思います。

しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは、「持続可能な発展と世界の貧困をなくすこと」でせいた。けれども、私たちの本音は何なのでしょうか?

現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することなのでしょうか。

質問をさせてください。

ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば、この惑星はどうなるのでしょうか。

息をするための酸素がどれくらい残るのでしょうか。

同じ質問を別の言い方でしましょう。

西洋の富裕社会が持つ傲慢な消費を、世界の70億~80億の人ができると思いますか。そんな原料がこの地球にあるのでしょうか。可能ですか。

それとも別の議論をしなければならないのでしょうか。

なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか。

マーケット経済の子供、資本主義の子供たち、つまり私たちが、間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作ってきたのです。

マーケット経済がマーケット社会をつくり、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか。グローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか。

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で、「みんなで世界を良くしていこう」といった共存共栄な議論はできるのでしょうか。

どこまでが仲間で、どこからがライバルなのでしょうか。

このようなことを言うのは、このイベントの重要性を批判するためではありません。その逆です。

我々の前に立つ巨大な危機問題は、環境危機ではありません。政治的な危機問題なのです。

現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。

私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。

人生は短いし、すぐ目の前を通り過ぎてしまします。

命よりも高価なものは存在しません。

ハイパー消費が世界を壊しているにもかかわらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。

消費が社会のモーターになっている世界では、私たちは消費をひたすら早く、多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。

このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、本当なら10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない…。

私たちは、そんな社会にいるのです!

長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけない。

人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。

悪循環の中にいることにお気づきでしょうか。

これは、紛れもなく政治問題です。私たち首脳は、この問題を別の解決の道に導かなければなりません。

石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。

私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

昔の賢明な人々、エピクロスセネカやマイアラ民族までこんなことを言っています。

「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

これは、この議論にとって文化的なキーポイントだと思います。

私は国の代表として、そういう気持ちでこの場に参加しています。

私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉が結構あると思います。

しかし、みなさんには水源危機と環境危機が問題の源ではないことをわかってほしいのです。

根源的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは、私たちの生活スタイルだということ。

 

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。

私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、私の国には、世界でもっとも美しい1300万頭のの牛がいます。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんなに小さな国なのに領土の90%が資源にあふれているのです。

私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために闘いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。

なぜか?

バイク、車などのローンを支払わなければならないからです。

毎月2倍働き、ローンを払っていったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。そして、自分自身に質問を投げかけます。

これが人類の運命なのか…と。

 

私の言っていることはとてもシンプルなものですよ。

発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。

愛を育むこと、人間関係を築くこと、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限の物を持つこと。

発展は、これらをもたらすべきなのです。

幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。

環境のために闘うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であることを覚えておかなくてはなりません。

ありがとうございました。

(スピーチ日本語訳・打村明)