すなめりくんの読書ブログ

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高校の教員です。読んで良かったと思う本を紹介していきたいと思います。

【教員志望の学生におすすめ】『子どもの貧困(阿部彩 首都大学東京教授)』

 日本の貧困率OECD加盟国の中で2番目に高いことを知っていますか?

子どもの貧困―日本の不公平を考える (岩波新書)

子どもの貧困―日本の不公平を考える (岩波新書)

 

 健康、学力、そして将来…。大人になっても続く、人生のスタートラインにおける「不利」。OECD諸国の中で第2位という日本の貧困の現実を前に、子どもの貧困の定義、測定方法、そして、さまざまな「不利」と貧困の関係を、豊富なデータをもとに検証する。貧困の世代間連鎖を断つために本当に必要な「子ども対策」とは何か。

(カバーより引用)

 

 今、いわゆる「しんどい家庭」で育つ子どもが増えているといわれています。学校、家庭、地域の連携が重視されることには、家庭のしんどさ、家庭の教育力の低下という背景があります。

 教員採用試験の面接で必ず聞かれるといってもよい、家庭や地域との連携について、今の日本の現状を知っておくとことは非常に意義があると思います。

 また、学校教員の精神疾患による休職者(2014年で5000人超)の問題や、新人教員の大量離職などの問題が重要な課題となっています。だから、教員採用試験でも、困難や厳しい現状に耐えることができる人なのか、今の学校現場(家庭環境の多様化、母子家庭の増加など)が置かれている厳しさをどれだけ知っていて、向き合う覚悟があるのか?そういったことを重視しています。

 そういう意味でも、貧困の専門家による、客観的な視点から日本の子どもの現状を鋭く分析した本書は教員を志望する学生、教員採用試験に臨む学生にオススメです。特に小学生・中学生の教員を志望する学生には役に立つと思います。

 

 

 

 

貧困について著者は、

「貧困」は、格差が存在する中でも、社会の中のどのような人も、それ以下であるべきでない生活水準、そのことを社会として許すべきでない、という基準である。

と言います。そして、その基準はあくまでも人によるものだと言います。だからこそ、

「貧困」の定義は、社会のあるべき姿をどう思うか、という価値判断そのものなのである。

 つまり、僕たちが、どんな社会を望むのかが問われているのでしょう。

本書は、この許すべきでない生活水準(貧困)で生活する子どもたちを取り扱います。子どもたちにとって、許すべきじゃない生活水準とは何かについて、統計学を用いて説明をします。

 

 

 

 

貧困研究の分析について

貧困家庭で生きる子どもは、

・虐待を受ける確率が高い

・健康状態が悪い子どもの割合が高い

・少年院に入る割合が高い

・学校で居場所を感じられない(疎外感を感じている)割合が高い

などの相関(因果関係ではない)があることがわかっているそうです。最後の4点目はなど、子どもの主観的な部分(自己肯定感)などにまで、はっきりと差が出ていることにはショックでした。

 

さらに衝撃的な研究として、

子ども期に貧困であることの不利は、子ども期だけで収まらない。この「不利」は、その子が成長し大人になってからも持続し、一生、その子につきまとう可能性がきわめて高い。

 らしいのです。このような研究は日本ではあまり実証例がないそうですが、海外では多く存在するそうで、

アメリカのある研究においては、25歳から35歳の成人の勤労所得、貧困経験が、どれほど子ども期の世帯所得に影響されているかを分析しており、特に男性の勤労所得や賃金、貧困経験が、子ども期の貧困に直接影響されていると報告している(Corcoran & Adams 1997)

1975年に高校を卒業した1万人以上の人々を34年後の1991年にフォローアップして調査している。これによると、高校卒業時点での親の取得は、最終学歴や大学進学率に響いていただけではなく、52歳時点での就労状況、勤労所得にも影響していると報告されている(Hauser & Sweney 1997)

 つまり、子ども期の貧困経験は、「いつまでたっても不利」である確率が高くなると指摘している。

 

 

 

 

 

日本の子どもの現状はどうなっているのか?

 このことについて、なかなか衝撃的な、あまり日本人としては知りたくない現状が淡々と書かれていますので、ぜひ手にとって読んでいただけたらと思います。

 

 

 

 続きの本も出ているようです。2000年代後半以降からの最新の日本の貧困の動向が書かれているようなので、また読んで紹介したいと思います。

子どもの貧困II――解決策を考える (岩波新書)

子どもの貧困II――解決策を考える (岩波新書)

 

 

【中学生の読書感想文におすすめ】『4TEEN』青春とは、人生の友とは何かを感じる1冊

 

4TEEN (新潮文庫)

4TEEN (新潮文庫)

 

東京湾に浮かぶ月島。ぼくらは今日も自転車で、風よりも早くこの街を駆け抜ける。ナオト、ダイ、ジュン、テツロー、中学2年の同級生4人組。それぞれ悩みはあるけれど、一緒ならどこまでも行ける、もしかしたら空だって飛べるかもしれない――。

友情、恋、性、暴力、病気、死。出会ったすべてを精一杯に受けとめて成長してゆく14歳の少年達を描いた爽快青春ストーリー。

(裏表紙より引用)

 

 僕が読んだのは、何年も前で、たぶん大学に入った直後だったと思います。この作品は日本で最も権威ある直木賞を受賞した作品ですが、著者自らあとがきで、

この作品は直木賞が代表する文学の重力から、完全に自由で軽やかな小説なのだ。

 と書かれているように、直木賞っぽくない感じが僕もしました(笑)。ネットでも結構賛否両論あって、登場人物に全くリアリティを感じなかったと辛辣な感想を書いているものも目にしました。けれども、僕はこの小説からほとばしる瑞々しさがすごく好きです。

 

あとがきで石田さんが

少年たちの生きる力、成長する力を信じて、書くことをたのしみながら一冊の本を仕上げる

 とありましたが、まさにそんな小説でした。

 

 

 

 

なぜ僕がこの小説に魅力を感じているのか、それが言語化されているものを見つけたのでご紹介させていただきます。

新潮社文庫の「4TEEN」公式サイトに作家の森絵都さんの書評です。

 単純な話、すべてをわかちあうには、私たちは個々の経験を積みすぎてしまった。恋。挫折。反発。和解。絶望。別離。誰もが味わうそれらを一通り経験し、すでに私たちは二巡目や三巡目に入っている。何もかもが新鮮だった一巡目の驚きや興奮、しびれるような感触。誰かに伝えたくて、わかってほしくて、わかりあいたくてしょうがなかったあの狂おしい衝動も、すべてを笑い話にする術に長けた今の私はいつしか忘れていた。
石田衣良氏の『4TEEN』を読んで、久々に思い起こした。一巡目の世界の初々しさと、生々しさと、痛々しさを。

すでに二巡目、三巡目に入っている僕らや、おっさん世代にこそ、読んでほしいとも思います。 

 

 

以下のサイトに森絵都さんの書評が全文載っています。この小説の魅力がすごく伝わってくる素敵な書評ですので、一度ご覧ください。

www.shinchosha.co.jp

【西成を知る】『叫びの都市 -寄せ場、釜ヶ崎、流動的下層労働者-』

  大阪屈指のデートスポット海遊館があった場所で数十年前には、港湾労働者が毎年たくさん死んでいたことを知っていますか?

 この本は、最下層の労働力として高度経済成長を陰で支えた日雇い労働者を描いた1冊です。僕ら関西に住む人間にとって、日雇い労働者が暮らす西成(あいりん地区)は治安が悪い、危険なイメージがあります。しかし、そのほとんどが不正確な事実に基づいた偏見、差別であることを本書は教えてくれました。

 

 西成ってどんなとこなのか? 神戸大学准教授で、社会地理学が専門の原口剛さんが描くありのままの釜ヶ崎を1人でも多くの方に知ってもらえたらと思います。

叫びの都市: 寄せ場、釜ヶ崎、流動的下層労働者

叫びの都市: 寄せ場、釜ヶ崎、流動的下層労働者

 

流動する労働者の群れを、だれも統御することはできなかった。労働者の流動性は、つねに<過剰>であった。…

だが、かれらは挫折の苦悩のなかにあってさえ、みずからが引き受けた<過剰>をかたくなに肯定したのである。

それは、見えざる道を拓き、新たな空間を生み出しつづけるために、決して絶やしてはならぬ種火だったのだ。

(本書の帯より引用)

  ん?なんのことやねん? はい、この本は長いし、少し難しい箇所(主に前半部分)があります。ジュンク堂難波書店に行ったときに、イチオシ本になってて勢いで買ったんですけど、僕もいざ読もうとしたら、帯に書いてある本文抜粋のこの文章をみて、少し読む気が失せました(笑)。

 でも、読んでみると、なんとなくですが、言いたいことが伝わってきたような感じがします。難しい部分がなくはないですが、本の主題となる大部分の内容は僕でも十分に理解できましたので、大丈夫だと思います!

 

 

 

西成は関西人なら「ああ、西成なあ」となると思いますが、知らない人のために簡単に説明します。

 西成地区は、戦後の復興を一番最底辺で支えた、日雇い労働者が暮らす街です。大阪の西成以外にも、東京の山谷、神奈川の寿町、名古屋の笹島など全国にいくつかあるそうです。

 以下のyoutubeの動画を見ていただけると特異性がわかると思います。動画は2008年のものですが、たぶん21世紀で暴動が起こる日本唯一の場所ではないでしょうか?


2008年 西成暴動 釜ヶ崎 あいりん

 

次の動画は1990年の暴動ですが、迫力がヤバすぎです。もちろん、ここは日本です。

1分頃~2分半頃までの激しさは必見です。


西成暴動 1990年

 

 

 

この動画を見て、あなたはどう感じますか?

 

どうしようもない奴らだな

社会のゴミだな

怖いから関わりたくない

 

僕もそう思いました。この本を読むまでは。

暴動は1960年代から20回以上起こっているようです。そして、この暴動に対する、メディアの論調は、「暴力性」を一貫して前面に押し出していたそうです。

  しかし、彼らはなぜ暴動を起こしたのか?彼らが暴動という手段を通じて、訴えたかったことは何なのか?多くの日本人に全く届くことのなかった、その叫びを書いた本が『叫びの都市』なのです。

 

 

僕は、彼らの叫びの声を聞けて本当に良かったと思います。

 

 

彼ら日雇い労働者の過酷さを物語る1例を紹介したいと思います。

沖仲仕(船内で荷物を運ぶ人)が従事する本船での船内労働において、船内倉庫の温度はマイナス25度となっている。船内に積まれた輸入品の肉や魚は冷凍されて石のような硬さとなり、手鉤(小さなカマみたいなやつ)でもはねかえってくる。そのような極寒のなかでも、手袋はゴム引き一枚でなければならない。綿の手袋をその下に入れようものなら、汗で綿が凍ってしまい、脱いだときに手の皮ごとめくれてしまうからだ。ゴム引きの手袋、防寒ジャンパー、防寒長靴だけで、こうした労働に携わる。過酷な労働であるから、1時間作業を行い1時間の休憩を挟むことを繰り返す。真夏であれば、外の気温は35度にまで上る。かたや船内倉庫の温度はマイナス25度、その温度差はなんと60度だ。屈強な労働者であっても、この温度差に吐き、高血圧で倒れる者が跡を絶たなかった。

(ただし()内の説明は僕が書いてます)

 大阪港の港湾労働者だけで毎年数十人が死んでいたのがわかりますね…。

 

彼らの日常の生活を感じられる文章を他のブログで見つけたので引用して紹介します。

住む、というのは寝るだけではない。食うこと呑むこと、またくつろぎ憩うことなども住むないし暮らすことののなかみだ。そして労働者はドヤの一畳あまりのスペースに住んでいるのではなく釜ヶ崎に住んでいる。釜ヶ崎で酒を呑み飯を食い仲間としゃべり喫茶店や三角公園でテレビを眺めなどする。要するに現在一般化した住居様式でならダイニングキッチンや居間の役割を、労働者は釜ヶ崎という範囲の町に果たさせているのだ。果たさせる以外の方法がないのだ。だから釜ヶ崎は一つの町であるが、労働者にとっては仕事場から帰りついた住み処という性格が認識されている。ドヤはそのうちの単なる寝室にすぎない。酔いすぎた者が寝室以外でも眠るのはむしろ自然なので、そう咎めだてする必要はない。

寺島珠雄釜ヶ崎語彙集 1972-1973』 p120 [酔い倒れ] 

 彼らが特殊な人々ではなく、僕たちと同じ人間であるという当たり前の事実を1人でも多くの人に知ってもらいたいですね…。

 

 

以下のブログの文章がすごく魅力的です!

cdya.hatenablog.com