すなめりくんの読書ブログ

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これまでの人生で読んで良かったと思う本を紹介していきたいと思います。

山田悠介の小説の中で僕が面白いと思った数少ない本『パズル』

 君なら、どうする?

超有名進学校が武装集団に占拠された。人質となった教師を助けたければ、広大な校舎の各所にばらまかれた2000ものピースを探しだし、パズルを完成させなければならない!?究極の死のゲームが始まる!

角川書店 より引用)

パズル (角川文庫)

パズル (角川文庫)

 

 

 今回紹介するのは、代表作の「リアル鬼ごっこ」をはじめとした、奇抜な設定、独創的なアイデアを駆使して中高生から絶大な支持を受けている山田悠介さんの作品です。

 しかし、多くの支持を受ける一方で文学的表現の拙さ等、批判の声も多いように思います。僕も山田さんの小説は何作か読みました。面白いと思ったものが2作あり、今回はそのうち1つの『パズル』を紹介したいと思います。

 

引用文にあるように、本作の概要はシンプル。

人質に取られた教師を救うため、学校中に隠された2000ものピースを探し出し、パズルを完成させる。48時間以内に。

 

 

 

 僕が山田さんの作品をあまり好きになれなかったのは、文学的表現の拙さが理由ではありません。文学的表現やら、文法やら、そんなもの、僕もあまりわかりませんから。多少気づいたとしても、そんな細かいことを気にする性格じゃありません。(笑)

 何が合わなかったか?

1つは、グロテスクな描写が多かったこと。もう1つは後味が良くないものが多かったこと。

 

 

本作には、ほとんどそのような描写がありません。それが、この『パズル』を楽しんで読むことができた大きな理由かもしれません。山田悠介の小説はあまり……という人にもオススメしてみたいと思って今回書いてみました。

 

 

大人と先生が大嫌いな中学生に読書感想文でオススメしたい『ぼくらの七日間戦争』

 押し付け、命令ばかりする親や教師と戦うために河川敷にある工場に立てこもる中学生の話。

 ――そうさ。子どもはおとなのミニチュアじゃないんだ。自分たちの思いどおりになると思っていたら大まちがいだ。それを、はっきりと思い知らせてやるぜ。

 

ぼくらの七日間戦争 (角川文庫)

ぼくらの七日間戦争 (角川文庫)

 

明日から夏休みという暑いある日のこと。東京下町にある中学校の1年2組の男子生徒が全員、姿を消した。彼らは河川敷にある工場跡に立てこもり、そこを解放区として、対面ばかりを気にする教師や親、大人たちへの”叛乱”を起こした! 女子生徒たちとの奇想天外な大作戦に、本物の誘拐事件がからまって、大人たちは大混乱に陥るが――。何世代にもわたって読み継がれてきた、不朽のエンターテインメントシリーズ最高傑作。 

 

 

 この本は、すごく娯楽性が高い小説です。家から持ち寄った缶詰などの食料をみんなで食べたり、この「秘密基地」に侵入しようとする教師たちに落とし穴を仕掛けたりと、爽快でエンターテイメントな小説です。特に男子なら、誰でも1回は秘密基地的なものに憧れたときがあったのではないでしょうか?

 

 

 

 僕は、教師が嫌いでした。えらそうに命令するからです。そして、時にその命令が理不尽だからです。上から目線で校則などを勝手に押し付けてくる教師が大嫌いでした。そのことが、僕が高校の教員になったことに大きく影響をしています。

 もっとも、教員となった今では、教員の側の想いや立場もよく理解できるようになりましたが。

 

 現在、教育界において、管理主義的な風潮が強まっていると言われています。もちろん、社会の教育現場に対する見方など、外的な変化という要因はあると思います。また、超格差社会となりつつある現在において、厳しい生徒が集まる中学や高校において、生徒を厳しく管理、コントロールしなければ学校秩序の維持ができなくなることへの恐怖は身をもって体感しています。

 しかし、それだけでいいのでしょうか?

「われわれは、子どもを”いい子”にしようとしています。われわれのいう”いい子”とはなんでしょうか? それは、おとなのミニチュアですよ。つまり、おとなになったとき、社会の一員として、役に立つように仕込むのが教育なのです。(略)これは、おとな優先の発想です。身勝手とは思いませんか? われわれは、一度だって、子どもの目で世界を見たことがあるでしょうか? 子どもは、おとなの囚人ではないのです。

 例えば、知らない親戚の人と会ったときに、2歳なら泣き出すこともあるでしょう。5歳くらいなら照れてお母さんの足にしがみついて隠れることもあるでしょう。中学生くらいなら、そっけない態度をとることもあるでしょう。もちろん、礼儀正しく挨拶ができることは、好ましいことだと思います。しかし、そのような大人の価値観を押し付けすぎることを僕は危惧しています。

 

 また、教員の言うことに何も疑わず、上から言われたことに、ただ従う従順な人間をひたすら育成しているようで違和感を覚えています。(実際に経団連からの教育への要望にはそういう人間の育成をしてほしいというニュアンスのことが書かれていたりします…)

 

 もちろん指導は大切ですが、親にとって、教師にとって子どもは操作の対象物ではないということ、尊厳ある1人の人間であるということを忘れてはならないと思います。

 

 

 

 

 

 

 

高校教員であるわけですが、こういうアンチ教師的な本を読書感想文に書いて、それを読んだ先生の反応を見てみたいという思いがあったりします(笑)。

これを読んだ中学生、ぜひ読んで読書感想文を書いてみませんか?

最近の新入社員のコミュ力が…という人こそコミュ力がないかも?『わかりあえないことから』

 

 

目からウロコ!「コミュニケーション」という言葉の周辺でモヤモヤイライラしていたものが、一気に吹き飛ばされ、すっきりした気持になりました。(阿川佐和子氏)

これは掛値なしに「おもしろくてためになる」本です。私も初心に戻って日本語を考え直しました。(谷川俊太郎氏)


他人と同じ気持ちになるのではなく、話せば話すほど他者との差異がより微細にわかるようになること それがコミュニケーションだ。(鷲田清一氏)

他者との対話を通して、いのちが広がる。生きている実感がこみ上げる。厳しくも温かい、人間賛歌!(茂木健一郎氏)

 

  最近の若者はコミュニケーション能力が低下したと言われますが、はたして本当なのでしょうか?そもそもコミュニケーション能力とはいったいどのような能力なのでしょうか?

 この問題について、劇団で戯曲や演出に携わり、現在では大阪大学で表現について研究もされている平田オリザさんが「いま、本当に必要なこと」について書いたロングセラーの1冊。

 平田さんは、近年全国各地で演劇を使った教育実践をされていて、そこでの話がかなり登場してきます。ですので、小学校の先生や、国語の先生にオススメです。

 また、コミュニケーション能力とは何かを考えてみたい人に超絶オススメです。ちなみに僕は教員採用試験で、コミュニケーション能力の育成についてディスカッションしなさいという課題が出たのですが、この本を読んであの時なんて浅はかなことを言っていたのだろうと恥ずかしくなりました(苦笑)。就活で学生に求める能力圧倒的1位としてコミュニケーション能力という記事を見ましたが、学生の採用を担当する人事も、どれだけコミュニケーション能力について深く考えているのでしょうか?かなり怪しいんじゃないかと想像したりします。

 ロングセラーに外れはないと誰かが言ってた気がしますが、軽く衝撃を受ける程度には面白いので是非読んでみてください。

 

 

 

 本書は、コミュニケーションにおいて従来の「わかりあうこと」に重点をおくのではなく、「わかりあえないところ」から出発することを強調しています。

 また、企業が表向きに、学生に求めるコミュニケーション能力としての「異文化理解能力(異なる文化・価値観をもった人と話し合い、妥協点、合意形成を図る力)」と、「日本型コミュ力(会議の空気を読んで反対意見は言わない、輪を乱さない)」という相反するコミュニケーションに隠された二面性を求められる苦しい現状(筆者はこれをダブルバインドという)を指摘します。

 つまり、最近の若者のコミュ力は~と嘆く大人たち、あるいは社会が若者のコミュニケーション能力の発展を阻害しているのではないかという視点が1つ。

 もう1つは、筆者が学生につけさせたいコミュニケーション能力とは、論理的に喋る力よりも、論理的に喋ることが苦手な人の思いを汲み取る能力と言います。最近の若者のコミュ力は~と嘆く側のコミュニケーション能力も問われているということですね。

 

本当に素敵な読書体験をすることができました。かなりオススメします。

 

 

 

 

 

最後に2つ、僕がとても刺激を受けた面白い内容を紹介したいと思います。

 

 

 

 1つ目は、大阪大学の院生を相手に行っている演劇の講義の話です。

 これまでの数年間で1番面白かったのは、理系のポスドク(博士課程終了した人)ばかりがアルバイトで集まるファミレスという設定で、厨房の中で高分子化合物だの非対称理論だの理系の専門的な話が延々と続けられるというものだった。お皿は素数でしか出せないとか、それぞれの店員にこだわりがあって、それ故にこの店はとても暇になっている。さらに、この店の店長が、かつて将来を嘱望された天才物理学者だったのだが、教授と喧嘩して大学を辞めたという設定も秀逸だった。理系の男子ばかりが1つのグループに集まってしまったハンディを、うまく創作に生かした。

  なんか、すごく見たくなりました!!(笑)

 

 

 もう1つは、PISA調査(世界の国・地域の学力調査)の話です。

日本の教育界にショックを与えたのが「落書き問題」と称される設問だった。以下、その内容を少し端折って書く。

 ネット上に、「学校の壁に落書きが多くて困っている」という投書があった。一方で「いや落書きも、1つの表現ではないか。世の中にはもっと醜悪な看板が資本の力で乱立しているではないか」という投書があった。

 「さて、どうでしょう?」

という設問である。「さて、どうでしょう?」と聞かれても、日本の多くの子供たちは、何を聞かれているのかさえわからなかった。落書きは悪いに決まっているから。

 私は設問を少し変えて、学生たちに問うてみる。

「では、落書きが許される場合は、どんな場合でしょう。自分のことでもいいし、社会的にでもいいです」

あなたなら、どのように答えますか? 

ちなみに、この続きは以下のようになっています。

学生たちは少し考えてから、以下のような発言をする。

「その落書きを気に入ったら」…正解。

「その落書きに芸術的な価値があったら」…正解。

「すぐに落とせるものなら」…正解。

中学生から得た答えで私が気に入ったのは、「明日、取り壊し予定だったら」…この視点の転換はとても素敵だ。正解。

 そして、数百人に1人だが、一定の割合で次のような答えをする学生がいる。

独裁国家だったら」

もしもあなたが、独裁国家日本大使館に勤務していて、壁に「打倒〇〇体制」と落書きされたとしたら、「まったく落書きをするなんてけしからん。道徳がなっとらん」と嘆くだろうか。そ、命がけで書かれたはずの落書きを、公衆道徳の問題だけで片づけられるだろうか。

 このPISA調査での「落書き問題」が問うているのは、

文化や国家体制が違えば、落書きさえも許される局面があるという点

 であり、

落書きでしか表現の手段がない人びとにも思いを馳せるという能力こそが、PISA調査が求める異文化理解能力の本質

 

どうでしょう?ちなみに僕は、

確かに資本によって醜悪な看板があるかもしれないけれど、それは落書きをして良いことを正当化する根拠にはなりえない。しかし、厳密に道徳をつきつめて考えてしまうとすごく息苦しい社会になってしまうので、落書きの内容が、他者を傷つけたり、不快な思いをさせないものであって、かつ落書きをすることで他者の利益が大きく損なわれることがない限りにおいては許容される社会を僕は望む。的なことを考えてました。見事に異文化理解能力のかけらもない解答になってしまいました(涙)

 

みなさんは、どんな解答を考えましたか?