【おすすめしない入門書】 社会学講義
社会学講義
著者:橋爪大三郎,大澤真幸,佐藤郁哉,吉見俊哉,若林幹夫,野田潤
社会学とは、どういう学問なの? 社会学の魅力はどこにあるの? そんな初学者の関心に、第一線で活躍する社会学者が、まっすぐに応えます。社会学の主要なテーマについて、基本的な視点から説き起こし、テーマの見つけ方・深め方、フィールドワークの手法までを、講義形式でわかりやすく解説します。小さな,しかし最良の入門書です。
(本書カバーより引用)
僕は、よい入門書と言うのは、その分野に全く興味がない人が始めて読んだときに、面白いと思える、またはわかりやすいと思えるものだと考えています。
そのような意味で、本書は正直、お勧めできるものだと思いませんでした(笑)。
ただし,後述する、野田潤さんの「家族社会学」が面白かったのでブログで紹介することにしました。
一般に、大学で○○学をまず学ぶときの教科書と言うのは,大きく分厚い教科書で、全20章くらいからなり、○○学の主要なテーマを全て網羅するという感じのものを使います。そんな長いものを読むのは…という学生のために,社会学のテーマのうち、
「社会学概論」
「理論社会学」
「都市社会学」
「文化社会学」
「家族社会学」
「社会調査論」
という5つのテーマのみを扱ったコンパクトな教科書、というのが本書の構成。
では、僕が面白いと思った「家族社会学」の内容を少し紹介したいと思います。
社会学では
分析する観察者自身もまた分析対象である社会の内部に組み込まれているため、完全なる外部から絶対的な客観性をもって素朴に社会を見つめることはできない。
ゆえに、社会学として何かを分析するときに大切な心構えとして、
分析者自身が特定の価値を前提としていることを自覚し、その自らの中の前提を反省的にとらえかえすことによって、相対的な客観性を確保しようとする態度
が大切であると言います。
要するに、僕たちは,自分が所属している社会の価値観や常識を前提にしか物事を考えることはできない。言い換えると、色のついた眼鏡越しにしか、世界を見ることができない。しかし、自分がどのような色をした眼鏡をかけているか自覚することはでき、そして、それが大切なことだ。ということでしょうか。
大切なこの心構えをもって家族社会学を考えるということは、
自分の中で最も強固に「当たり前」と思いこまれている「常識」の数々が、音を立てて根底から崩れ落ちてゆく経験でもある。それこそが家族という対象を社会学することの難しさであり、また面白さ
と野田さんは言います。
その一例として以下の文章を紹介します。
1950年代にヒマラヤ・チベットのフィールドワークを行った人類学者の川喜田二郎は、あるエピソードを紹介する。滞在先の村のチベット人のあいだでは、個人間における1人対1人の婚姻ではなく、系譜の異なる親族集団間における1グループ対1グループの婚姻が制度的・慣習的に行われており、姉妹・伯母姪・母娘による夫の共有や、兄弟・伯父甥・父息子による妻の共有など、さまざまな形態の夫婦が日常的に観察された。しかしこれらのチベット人に「日本では同じ父方のいとこ同士でも結婚できる」という事実を伝えると、「日本はいったいなんというめちゃくちゃなところか」という反応が返ってくる。
要は、「自分のところのルールにあてはめてみると、相手は皆、犬畜生になってしまう」し,それは「お互いさま」なのである。物事を観察する際に、観察者の価値観のみが特権的な審級として通用するのだという思いこみは、あくまでも思いこみにすぎない。
僕の社会学のイメージは「常識を根底から疑う姿勢」というものでした。その面白さを野田さんの家族社会学の紹介から感じることができました。夫の共有、妻の共有なんてあり得ないって思うけど、日本社会の婚姻制度という前提、眼鏡を通して感じたことなんだって自覚ができました。
生きていると、ときには眉をひそめたくなる他人の趣味や、受け入れがたいほかの文化(犬を食べるなど)に出会うことが多々あると思います。そして、得てしてそういった未知の受け入れ難い何かに出会ったとき、対立や争いが生まれる原因となることが多いのではないでしょうか?
会話(仲の良い同士のコミュニケーション)ではなく、対話(異なる価値観を持つ人と人が互いの違いを尊重して価値観をすり合わせる)する能力がより一層求められる21世紀を生きていく僕らにとって、社会学的なものの見方、考え方は非常に大切だと思います。
最後に、誤解のないように書いておきたいのですが、本書が良い、悪いということについては一言も言っていないつもりです。あくまで僕が考えるおすすめの入門書とは、あまり言えないということです。
でも、野田さんの家族社会学は是非読んでほしいと思いました。